正山小种红茶在问世后的数百年间,皆以外销为主。
而清代的主要线路,便是通过这一古茶道,从桐木关翻越武夷山脉,到达江西铅山,由河口镇换船;
一路水路-陆路-水路更换,抵达广州。
再由海运运至欧洲。
百余年前,英国人在印度引种中国茶树成功。
彼时正值中国动荡之际,红茶滞销;
桐木茶农无法再以种茶为生计,也为避兵乱灾荒,纷纷将茶园抛荒逃散。
因此留下许多古老茶园在深山孤寂百年。
问世〔wènshì〕(新製品が消費者に,新しい著作が読者にまみえる→)世に出る
引种〔yǐnzhǒng〕(植物の)優良品種を導入する.
动荡〔dòngdàng〕(比喩的に;情勢・状況などが)動揺する,激動する.
滞销〔dòngdàng〕売れ行きが停滞する,たなざらしになる,売れ行きが伸びない.
灾荒〔zāihuāng〕(自然災害による)凶作.
纷纷〔fēnfēn〕(多く連用修飾語に用い;多人数の動作が)絶え間がない,続々と続く,次から次へと続く.
抛荒〔pāo//huāng〕(田畑が)荒れたままである,荒れるに任せている
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正山小種(ラプサンスーチョン)の名産地として栄えた桐木村。
古くは清の時代から、お茶を運ぶための「古茶道」が利用されていました。
インドで紅茶が生産されるようになると、桐木村の農民たちは生計を立てることが出来なくなり、また争いや凶作のため、茶畑は荒廃してゆきました。
こうして孤独な山の奥深く、多くの茶畑が眠っているのです。