この2月に結婚し、新居に引っ越したばかりという石川美里さん。幼少時代を過ごした台湾、大学1年時の短期留学を含めると、今年で中国語圏歴も8年ほどになる。
「20代のうちに海外に出て、やりたいことがあるのでは?とずっと思っていました。そのきっかけとなったのが台湾という、海外で働く父の姿だったのかもしれません。」
大学では海外に進出する日系企業のマネジメントを専攻し、第二外国語で中国語を選択。中国語をやるからには中国大陸も見てみなければという思いから、1ヶ月間上海華東師範大学へ短期留学した。
「1ヶ月という短期だったため、学生寮ではなくゲストハウスのような部屋に住んでいました。このとき見た中国人学生の真面目さに圧倒されたのを覚えています。同時に中国国内の教育レベルの格差を実感し、教育ビジネスやe-learningの分野に大きなビジネスチャンスがあるのではないかと思いました。」
大学卒業後は企業・一般向けの大手IT系教育サービス企業へ就職し、講師や検定試験の開発、Web管理などを主に担当した。中国に関わる仕事がしたいという思いから、会社の就業後研修制度を利用して中国語クラスにも通っていた。
「働き始めて2年半経った頃、会社の中国進出が頓挫し、自分自身も閉塞感を感じていました。中国の発展を肌で感じながら働きたいという思いが強かったんだと思います。」
2002年9月、奨学金の決定と共に退職・中国留学を決意した。働く前に中国語を見直そうと、馴染みのある華東師範大学へ留学。SARSで一時帰国した1ヵ月半を含めて1年弱の学生生活だった。
「留学を終えてからはそのまま上海で仕事を探し、2003年8月、人材紹介会社を通じてIT系企業に入社しました。上海で働くことはとても興味深かったのですが、社内のモラルに合点がいかず、この会社は試用期間中に辞めることにしました。2回目の就職活動のときはIT系にこだわらず、精密機器メーカーに入社しました。人事総務から独立した社長企画室という部門で働いていたのですが、企業の実際のマネジメントに関わる仕事は、大学で専攻していたこととも重なり、とても勉強になりました。」
「上海・華のOL生活」を満喫していた美里さんだが、結婚を機に退社し、駐在員の奥様として日々を過ごしている。自分で選択し、自分で働き、自分で生活のすべてをアレンジしてきた美里さんにとって、結婚は思った以上に大きな変化をもたらした。「自分のために働いて、自分にごちそうしたり、好きなときに好きなことをしたり、何もしなかったり。すべてを自分でコントロールする生活が、大好きでした。結婚は、自分にとって迷いのない選択ですが、社会との接点や、自分として生きていく糧はなんだろうと考えると、家庭とキャリア、人生設計について見直すときなのかなと思います。」
やりたいことしかやってきていない、と言い切れる潔さを持つ美里さんは新しい職場を探しながら、自らも次なるステップへ踏み出そうとしている。