第7回: 中国人と働くということ。

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    1981

    新しい会社での日々が始まりました。
    私は先輩の下で番組を担当することになり、放送を見たこともないその番組のDVDを見るところから仕事が始まりました。J-POPやエンタメ情報を紹介する番組で、中国語の字幕がついています。
    「こういう字幕も作るなんて、すごい」
    情けないことに、それが初めて番組を見たときの素直な感想でした。

    元々テレビ番組や音楽が好きだったので、内容にはすんなりついていくことができました。情報を正確にするため、歌手や映画のサイトを調べたり、翻訳をチェックしたりと細かい仕事がほとんどで、「調査の仕事にも、編集の仕事にも通じる部分があるな」などと思いました。
    慣れてくると、映像の編集にも関わるようになりました。
    日本人のインタビューを聞いて使う場所を選んだり、歌詞を出すタイミングを指示したり、日本語のわからない中国人オペレーターと組んでの作業です。「編集」といえばイコール「映像の編集」が常識というこの異空間で、初めて行き詰りました。
    まず、話を聞かない。時間が読めない。うそをつく。
    完全にナメられてるなあと、しんどい毎日でした。
    「中国のローカルメディアで働いている」というと聞こえはいいけど、中国で働くということは、中国で中国人と働くということは、中国語で中国人と、日本レベルのものを作るということです。業界の経験がない、仕事に慣れてない、中国語で完璧に言い返すことの出来ない自分がくやしくて、制作室から事務所へ戻る途中、悔し泣きしながら遠回りして帰ったこともありました。

    中国人と仕事をするとき、たいていの人が「高圧的な態度で、権力を見せつけろ」と言ったりします。人や、仕事内容によると思うけれど、私はこのやりかたがあまり向いていないため、とりあえず自分の仕事にきちんと向き合うところから始めることにしました。もちろん今まで手を抜いていたというわけではなく、自分なりに自分のレベルで納得する仕事をする、自分がしてきたことと今の仕事で通じる部分を充実させるということです。もうひとつ思う重要なことは、逆差別をしないということ。日本にいたって起こるかもしれないことを、どうしても海外のせいに、一緒に働いている中国人のせいにしがちです。そして、チームの中に日本人が自分しかいないという状況に違和感を感じたり、中国にいる自分に疑問を感じたりします。前の会社は日本人が90%を占めていたため感じたことのない違和感でしたが、ここでしか経験できないこともたくさんあるはず。今思うにこの部分は結構大切で、特に海外で働いていると「海外ストレス」や「文化のギャップストレス」に振り回され、日本語だったら出来ることもおろそかにしがちになります。それでも社会は回っていきますが、自分が納得できないことは、人を納得させることも出来ないんだと思います。

    初めて自分が関わった回の放送を見たときは、やっぱり感動しました。
    何度も何度も見た映像ですが、テレビで見るとなんだか違うなあと思いました。このころは時間がタイトで、徹夜明けにチームでお昼ご飯を食べに行ったりもしました。完全にナメられていた私ですが、なんとかオペレーターともやっていけるようになっていました。感覚、物の言い方、やりかた、ペース、すべて日本と同じようにいきませんでしたが、気まずいことは一度もなく、サバサバしてるなと実感しました。
    遅いお昼ご飯を食べながら、「今週はきつかったね」などと言い合い、「もっと食べろ」と言われ、納品の開放感と共に歩いて会社に帰るのも悪くないと思いました。

    自分の歩いている道は、中国と同じでごたごたしているし、どこに行くかわからないし、それなのになぜか自己主張だけは強い感じがする。きっとこれは今しか出来ないことで、逆に今しかやらないことなのかもしれない。それでも歩いていることは確かで、歩くのをやめるつもりもない。とりあえず、今日も一歩くらいは進んでみようと思います。そうやって見えてくるものが、きっとあるはずだから。

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    宮城県生まれ。 国際基督教大学教養学部卒業。2004年より上海戯劇学院に留学。 その後、上海にて映像制作の仕事に関わる。現在は東京で、コーディネーターときどきウェブ、イベント制作を担当しています。

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