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| [ carlos ] |
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上海情報ステーションプロジェクトリーダー。初渡中は93年夏。台湾-香港-昆明-大理-麗江を旅する。趣味は散歩とサンバパーカッション。専門はブラジル研究。1972年、札幌市出身。 |
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2005年8月13日(土) |
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| 夜が遅い。昨晩はDVDを見ながら3時過ぎまで喋っていた。田中君も泊まりだ。 |
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| 深夜の友、辛ラーメン |
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10:35に家を出て、トラムで上海駅へ。
土曜日の駅。人の数が違った。どっと込むShanghaiStation。 |
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本家に挨拶をして僕らは入場した。チケットは既に市内のチケット屋で購入済みであった。
目指す杭州は浙江省の省都、水墨画のような夕景が拝めるかと思えば人口175万人を抱える近代都市でもある。西湖に浮かぶ湖上レストラン楼外楼の東坡肉(トンポーロー)はつとに有名である。今回の目的の一つでもある。Let's go to 杭州! |
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| 上海駅で8元の駅弁を買った。どうせ杭州着いたら食事なのに…、とは考えない。 |
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| 見ると司馬舞も肉まんを手にして得意気だった。 |
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それにしても上海駅の込み様はすさまじいものだった。テニスコート四面はある待合室がいっぱいだ。通路は愚か、イスとイスの間にも立っている人がいる。
改札は出発時間間際まで開かなかった。開けば開いたで我先にと改札を目指す。ホノルルマラソンさながらの先頭争いに僕らも負けじと参戦した。三列できた行列の左から入り込む作戦。ピッチャーでいえば内角低めシュート狙いだ。「他人との争いなら老人を突きとばしてでも先に行く」と表現することもある。そんな激しい中国の優先順位争い。これがもし自分の知り合いとなると何にも先んじて譲ろうとしてくれるのだという。分からないものである(それこそ他人を突き飛ばしてでも譲ってくれるとか)。 |
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| 僕ら3人は続き番号だったが、junだけが一人反対の窓側だった。そのjunの隣の女の子は日本語を勉強していた。僕らが日本人だと分かると少し照れた。次の日案内してくれると言ったが、先約があったので丁重にお断りした。 |
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三娘魚荘やザリガニ料理に連れていってくれた育紅と待ち合わせていた。彼女は浙江省出身で案内役をかって出てくれたのだ。さっそくタクシーで待ち合わせ場所に向かった。「西湖のほとり、楼外楼のあるところ」と指定されて行ったのだが、僕らはつい勘ぐって楼外楼の建物まで行ってしまった。すれ違いで携帯が鳴る。
「西湖のほとり?」ほとりと言ったら、ほとりなんだろう。引き返してみると果たして育紅がいた。中国人のいうことは正しい。僕たちは何も学んでいない。 |
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紅泥砂鍋 |
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さて、昼食の話。
育紅は喝破した。
「楼外楼よりおいしい。浙江省の人ならみんな知っている」
タクシーの運転手が言う。
「南山路に東坡肉のおいしい店がある。楼外楼?目じゃないよ」 |
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やはり地元の人が行く店というのは観光客のよく行く店とは違い、安くてうまいだろう。育紅に連れられ僕らが行ったのは「紅泥砂鍋」、西湖沿いの大手レストランだ。
午前中は結婚式でもやっていたようだった。ホールはスタッフが後かたづけでせわしなく動いていた。僕らは窓側に席を取り、地元浙江省の「千島湖ビール」を飲んだ。茉莉花の香り漂う黄金のビールだ。杭州に来たら是非飲みたい。上海の店ではふつう飲めないそうだ。
料理が次々と出てきた。育紅は食べきれないほど注文した。中国では客人をもてなすのにケチケチしない。日本の小市民たる自分なんか恐縮してしまうほどだ。 |
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・ 鳥の頭 / 豚の腎臓 : レンコンを一緒に口に含むとマッチする / など珍しい食べ物を出してもらった。
・ 荷香砂鍋肉 : 豚肉がもち米の中に埋まっており、それを葉にくるんで鍋で蒸してある。大きなちまきみたな感じ。もち米に脂がトロリと溶けて濃密な風味をかもしだしていた。ポスト東坡肉の呼び声高し。
食事のあと育紅と別れた。 |
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杰欣世紀酒店 (JIEXIN CENTURY HOTEL) |
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歓楽街に宿をとった。部屋は赤い椅子に青いカーペット。ラブホテルのような作りだった。バストイレがガラス張りだった。荷物を置いて外出した。 |
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小舟で西湖をゆく |
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| 西湖を見に行った。湖畔は200メートルほどの距離であった。すぐに小舟の漕ぎ手に声をかけられた。1人100元だったものが値切るとすぐに30元になった。乗合舟は僕ら3人と2人の中国人観光客を乗せて岸を離れた。 |
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夕まずめの魚の釣れそうな時間だった。ずいぶんと遠くまで漕いでいくので、いったいどうやって戻るのだろうと心配になったのは湖の中島をまわった辺りだった。ちょうどカーブして島のヘリを回っていくので、他の舟も集まってきた。さながらボートレースだ。「思いっきりマクッてやってちょうだい船頭さん!」、と思って後ろを見るとギーコギーコと漕ぎながらお茶を飲んでいた。(ものすごい余裕)
小舟に乗り合わせたのは共産党幹部だった。その幹部へのサービスか、あるいは幹部の睨みが利いたのか船頭は少しゆっくり目に漕いでいるようすだった。「ずいぶん遠くまできたなあ、船頭さん大変だなあ」ともう一度後ろを見ると今度はメールを打っていた。すごい余裕。中国はそんなに甘くない。 |
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| そして僕らを乗せたボートは湖の反対側のボート溜まりに到着した。そうだ。戻るはずなどなかったのだ。30元というのも空舟を廻すよりは良いという算段があっての事だろう。小舟乗るなら夕方である。 |
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| 部屋に戻り昼食のあまりを包んでもらったのを食べた。これが見た目以上においしかった。箸がないので手で食べていたら猿の宴会みたいになった。 |
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西湖、座して眺める夜景 |
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| 月が西湖に光を落とし、それは石橋に立つ僕らの足元にまで届いていた。丁寧に月の方が手を差し延べていた。今なら光の道を歩いていけるかもしれない、そう思った。有能な仙人ならこの月の招待に応じることができたに違いない。 |
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| 西湖のほとりには再開発で小ぎれいに整備されたレストランやバーがある。ビールを飲んでいると中国のことが好きになった。 |
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